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斉藤弘子・長江曜子著『Q&A 21世紀のお墓と葬儀』より抜粋

 

  【コラム3】遺骨の概念
 

 遺骨にこだわる日本人の特徴を、宗教学者である山折哲雄氏は『死の民俗学』(岩波書店)の中の「日本人の死生観と葬送儀礼」で分析している。火葬後の遺骨にそれほど執着せず、むしろ遺体にこだわる欧米の姿勢と対比し、対照的に描いている。キリスト教においては、死後の肉体をともなった復活にそなえて、本来、遺体を安置する場所=土葬地が墓地なのだ。1963年、バチカンの教皇が「火葬後でも復活に支障はない」と宣言しても、イタリアなどカトリック国では、いまだ火葬率が15%以上にはならない。宗教上の理由が実に大きいのだ。


 さて、日本人は「遺骨にこだわる民族」といわれている。敗戦後、56年目を迎えてもなお、厚生労働省の社会援護局では、遺骨収集をやめない。「故国に英霊を返してあげたい」「日本の地に埋葬してあげたい」「遺族にとって遺骨が帰らなければ、戦争は終わらない」等々。49日に埋葬するという習俗、宗教儀礼が表現しているものは、死者の死を認識し、霊が救済されてほしいという願いの表現であり、また、遺族が死から生の側へ再び歩みはじめる契機、けじめでもあるのだ。


 さて、現代では、火葬場で分骨することも可能である。遺骨を一部故郷の父母とともに埋葬するとか、一部をお墓に入れ、散骨する人もいる。遺骨には、「霊が宿る」という日本人古来からの考え方から、「もの」的な考え方に移行する人々も、戦後の即物的・科学的教育(西洋的な考え方とはいえぬが)により、「死ねば肉体は物である」と考える人も出てきた。21世紀において、遺骨に対する概念も変化をみせていくのだろうか。


 また、遺骨を、愛する人そのものの存在と考え、自分の死後まで一緒に生活する人も出てきた。つまり49日に埋葬せず、遺骨を自宅に置き(仏壇などに)一緒に生活するのだ。女優だった沢村貞子さんは夫大橋さんの死後、大好きなちりめんの風呂敷に遺骨(骨壷)をつつみ、毎日話しかけて生活していたという。沢村さんの死後、二人の遺骨は、晩年毎日眺めて生活した相模湾に散骨された。二人の遺骨は、くだかれて、まぜられて一緒に、あの世へ旅立ったようにも思える。


 文芸批評家の本多秋五さんは、五年前に先立った妻の遺骨を、一人お墓に入れるのを好まず、一緒に晩年生活したという。2001年1月、本多さんは死を迎えた。妻と一緒に入るお墓(自然石)を故郷に建立されるのだろう。


 遺骨は、「もの」ではない。愛する人そのものであると、食べてしまう人さえいる。体の一部に入れたいという意識なのだろう。また相続問題や、男女間の関係の複雑から、遺骨争いが起こる例も世間には見られる。


 斉藤弘子・長江曜子著『Q&A 21世紀のお墓と葬儀』より

クョスコニョ    [1] 
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