お墓とは、一体何だろう。地球上でお墓をつくる生物は、人間だけである。言いかえれば、人類のみがお墓をつくるのだ。動物は、本能で死を予知すると「死に場所を探す」とか「身を隠す」という行為をする。人類のなかには、お墓をつくる民族もあれば、お墓を建立しない民族もあるが、「死者を悼む」「死者を葬る」=葬儀を行うことが通例である。
元東大教授で解剖学者の養老孟司氏は、『脳と墓』(弘文堂)という著作等で、人類がお墓を建立する本質を探っている。墓は元来、遺された者たちが、死体を埋葬し、シンボルをつくることである。墓とは、人間の脳が死を認識する際にイメージ化するシンボル行為なのだ。お墓は、一見何の意味ももたないもののようだが、人間の根源的な意識と関わっているのである。
ネアンデルタール人の遺跡から、死者を葬る際に鼻をたむけられたこと、それもその地域にない花だったこと等がわかったことに養老氏は着目している。
それでは、現代の日本人である私たちにとって、お墓は一体何だろう。第一には、伝統的な意味で、宗教というより生活習慣、先祖崇拝に近い、”先祖の供養塔”という面がある。94%の日本人は、今で仏教式の葬儀を行っているのだ。
第二には埋葬場所、火葬した焼骨の安置場所、埋蔵地がお墓、という考え方である。現在日本人の97.5%が火葬をする。もちろん土葬もあるし、土葬する場所もお墓である。墓地埋葬法の関係上、墓地以外に埋葬はできないし、焼骨は墓地や納骨堂以外に埋蔵できない。
第三には、記念碑としてのお墓である。自分の生涯を他者にメモリーとして伝えるもの、メッセージ性をもつものとしてのお墓の存在が、近年重視されつつある。死者と生者の絆の確認場所、語る場所がお墓でもある。この場合は、生前から、自らお墓を建てるという行為、あるいは「自分らしい死」のための遺言が一つのキーワードにもなってくる。
最後に、人類は、自らの存在を言葉によって記録することができる唯一の生物である。記録や語り継ぐことで、人類は死者という肉体的存在を記憶にとどめるという行為をするのだ。そのシンボル的場所が、実はお墓なのではないだろうか。単なる”骨の埋蔵、収納場所”がお墓ではないはずだ。人類は、人類の歴史が始まると同時に墓をつくってきた。今後も、お墓をつくり続けるだろう。
お墓イコール墓石ではない。しかし、古来から”石”という天然素材、実に地球そのものであって、朽ちはてにくい素材を見出し、使ってきたことは、すごいことだといえる。エジプト、メソポタミア、黄河、インダスの四大文明も、石素材を実に見事に使っている。石がコンピュータに変わる日がくると早計に考えられぬ点がここにある。自然や環境にやさしい素材=石、なぜなら地球の恵みだからだ。
斉藤弘子・長江曜子著『Q&A 21世紀のお墓と葬儀』より
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