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斉藤弘子・長江曜子著『Q&A 21世紀のお墓と葬儀』より抜粋
【Q17】死んだとき、戒名は絶対につけなくてはいけないの?戒名の相場は? |
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人が死んだとき、戒名をつけるのは、仏教的な意味で必要な条件といえます。仏教を信じていないなら「戒名」は必要ありません。 仏教的世界観では、六道輪廻の中で「人間」に生まれあわせたこの世で「悟り」を開かなければ、成仏(極楽浄土に生まれ変わる)しないと考えられています。そのため、生きている間に仏の弟子にならなければなりません。仏の弟子には、導師=仏教上の導き手、僧侶によって、授戒(戒を授けること)する必要があるのです。仏の弟子の名前が「法名」です。「戒名」と同じ意味です。つまり、本当は生きている間に「法名」をいただかねばならないわけですが、通常私たちは雑事にかまけて、宿題を果たさぬまま死んでしまうのです。そこで、葬儀を行う際に「戒名」を授け、死出の旅路を心配なく「浄土」へ向けさせたいと、遺族が思うのでしょう。しかし、ときとして俗名のままの葬儀もあります。葬儀は、付近のお寺の住職、あるいは葬儀社手配で行い、後に田舎の実家の寺の住職に戒名をいただく等のときなどがそれに当たるでしょう。 さて、戒名は、仏の位によって、授けていただくための布施の金額が違ってきます。料金といったものは、明示されていませんから、住職にうかがってもよいでしょう。住職が、無料で戒名をつけているお寺もあるそうです。また、大変若いときに父親を無くしたDさんは、懇意にしていただいている住職に相談したところ、若いDさんが出せる範囲のお金(10万円ぐらい)でつけてもらえたとのことでした。元来値段があってないような「戒名」は、これからもお世話になるお寺に対する「御礼」という意味と、檀家=会員としてお寺を維持する「寄付」といった性格をもつものでしょう。お寺の方でも、寺への貢献度によってつけるものですので、お金を100万円積むから院号がもらえるというものでもないのです。そのお寺に対する貢献度が重要といえます。 戒名の位が下であっても、成仏しないわけではありません。寺院との今後の関係を考えて、できる範囲で考えるべきでしょう。昔からよくいわれていることですが、それが一番よいのです。戒名は、はじめに書いたようにあなた自身の仏教的世界観、死生観上の問題です。仏教とは無縁、宗教とは無縁だから全く戒名は必要ないと、俗名のままお墓の墓誌に彫る人も、現在では少数ですが出てきました。21世紀には自分の宗教観を見直す必要が出てくるかもしれません。神道では、「人は死して神になる」ので、霊名が与えられます。キリスト教は俗名のままです(洗礼名は刻みますが)。戒名が高いか安いかではなく、自分らしい最期として、あるいは遺族の側から死者をあの世へ送る立場として、自分の立脚する宗教的な立場を明確にすることが必要です。
斉藤弘子・長江曜子著『Q&A 21世紀のお墓と葬儀』より
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